硫黄島の思い出 その2
硫黄島の思い出 その1の続きである
さて、C-130のタラップを登り機内に入る。
当然、座席指定なぞない。そもそも座席というほどのものがない。
機内の壁沿いに電車のロングシートみたいな感じでハンモック状の座る場所があるだけである。
機内を見回すとトイレもなさそうである。洗面台のようなそれらしき物はあったがトイレかどうかは解らなかった。
輸送機だけあって我々人間が乗るところは最小で、後ろには荷物が満載されている。
恐らく私達が設置するコンピュータもあったはずだが見えるものは全てビールだった(笑
実は硫黄島には水がない。
私達が行ったときは、雨水頼みであった。
本来、行く時期はもっと早い予定だったのですが、水不足ということでこの日に延期されていた。
しかし、水不足は解消されておらず、前もって節約するようにと伝えられていた。
さて、離陸準備も整ったようでテイクオフである。
しかし、輸送機なので窓がなく外は見えない。
管制塔の前で翼を左右に振る動作をしたので、ちょっとビックリ!
当たり前だが、防音設備も貧弱なので音もものすごくうるさい。快適なフライトとは口が裂けても言えない。
しかし、こういう質実剛健な機械モノが好きな私には結構たまらないものがる。
そんな訳で皆、無言である。
というか話ても声があまり聞こえないので皆黙っているしかない。
周りを見渡すと結構ヤバそうな感じの人もいる…
なんか硫黄島の建設現場に行くと月収100万らしいので、それに行く人らしい(自衛隊の人談)
3時間のフライトを終え、硫黄島に到着したようで高度が下がり無事滑走路に降りる。
見渡すと当たり前だが何もない…
有名な擂鉢山があるくらいである。
さっそく手続きを行い、自衛隊の宿舎の部屋に案内される。
部屋は確か4人部屋で2段ベットが2つあった。
想像していたより、なかなか快適である。
さっそくM重工の方がいらして、まずは必ず行かないといけない場所があるというので連れていかれる。
表に三菱のデリカスターワゴンが止まっており、乗り込む。
この頃はラリーに夢中の時期だったのでデリカには関心を示さなかったが、硫黄島のダートを走りたいなぁ~と思った。
後にデリカにハマるとは思わなかったよ(笑
しばらく走って連れて行かれたのは、天山台地にある日本戦没将兵慰霊碑である。
M重工の方によると、ここを必ず訪れないと怖い目に会うという。
日本酒やらをお供えして冥福を祈る。
でも、真剣に黙祷したのにその後怖い目に会うとは予想だにしなかった…
その後はひととうり島を案内してもらう。
沈没船が海にあったりして殺風景である。
道路を離れると至る所に「不発弾注意」の看板がある。
遺骨収集でさえ進まないので不発弾は完全に放置のようだ。
また、山というか丘みたいなところに所々洞窟のような穴が見える。
これが戦時中に作られた地下壕のようだ。
ある洞窟に案内されたが、ちゃんと立って歩ける高さですごく立派である。
しかし、猛烈に暑い。
島全体が火山なので仕方ないが、こんな過酷な環境で戦っていたのかと思うと胸が痛む…
また、海岸に行くと砂は真っ黒である。
名前は忘れたが硫黄島独特の砂浜らしい。
ひととうり島を案内され、宿舎に戻る。
仕事は明日からなのでやる事がなくて暇である。猛烈に暇である。
だらだらしてると夕食タイムになった!
こういう場所に来ると食い物だけが楽しみと聞いていたが、本当にそうだ。
ワクワクして食堂に向かう。
自衛隊だけあって士官用の席は別にあり、私達業者は食事をお盆に載せて一般席に着く。
気になる飯であるが、かなり豪華。
おかずも種類があって嬉しいし量も当時食べ盛りだった私にはちょうど良かった!
さすが自衛隊である。
でも無料ではなかったような気がする。(当たり前か)
しかし、飯を食い終わると当然ながら暇である…
遊び盛りの私には、暇すぎる…、暇だよー
外は真っ暗なので遠出はできないけど、とりあえず散歩してみる。
空は今までみたことのないような満天の星空である。感動ものである。
ここが激戦地だったということを忘れさせてくれる。
ある意味、とても贅沢な夜であった。
しかし、若かりしワシには物足りなかったのは正直なところであった(笑
この頃知り合った女性(かみさん)に公衆電話でラブコールをしたりして暇を潰す。
あの頃は…
その後は宿舎内で流れる本土のビデオを見ながら夜も更けていく…
夜も更けると言っても、確か消灯は21時だったような気がする。
消灯ラッパを聞きながら寝床に入るしかないのであった。
つづく
PS
当時の写真を探してみたが見つからなかった…
残念である











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